地雷除去は序章に過ぎない

現地に立って知る、本当に求められていること

世界中で膨大な数※1の対人地雷が、
何年、何十年にもわたり地中に埋まったまま残り、その被害は絶えない。
国際社会がこの兵器を禁じてから※2四半世紀になろうとする今日においてもなお、
人々を殺傷し続ける「悪魔の兵器※3」 ――
この兵器を一掃した先に見えてくる地域復興に向けて、
コマツの支援活動は続いている。

サステナビリティ推進本部 地雷除去プロジェクト室

伊藤準矢 主査
学生時代から広く社会課題の解決に関心を抱くなか、地雷除去プロジェクトを通じてコマツを知り、2006年に入社。国内外で営業経験を積み、CSR室を経て念願であった本プロジェクトの専任に。
柳樂篤司 室長
1990年、研究開発部門の研究員として入社。建機を通じての社会貢献を模索し続けるなか、本プロジェクトと出会い、実体験をもとにコマツの社会貢献事業にまで育て上げる。

ODAから始まった対人地雷除去機の開発

コマツが地雷除去のプロジェクトを始めたのは、カンボジア和平※4後、日本政府からの要請で協力したのがきっかけでした。1998年、地雷処理の前作業となる灌木除去を目的としたショベルカー(PC60)※5を開発・投入。2002年には、アフガニスタン情勢※6を背景に、対人地雷除去機が軍用車両の扱いから外れたため、翌年、政府が公募したプロジェクトに参加し、本格的に地雷除去機の開発に着手することになりました。
そして、同年12月には試作機を完成させ、アフガニスタンで徹底的な性能検証を実施。2007年8月に日本のODA拠出に基づいて、「D85MS-15※7」の1号機を現地NGOに引き渡し、9月の実用に漕ぎ着けました。

これがブルドーザーD85の“進化型” D85MS-15だ!

すべての開発センターの技術を結集

まず、地雷除去機のベースマシンとしてブルドーザー(D85EX-15)を選定。これに対人地雷を破壊するための機能と、爆破の衝撃に耐えられる強度を加え、D85MS-15は生まれました。開発上の絶対条件は、対人地雷を「取りこぼしなく」確実に壊せること。機体先端部のローターにぎっしりと配された鉤爪(ビット)で地面をくまなく掻き、対人地雷を破壊します。確実な破壊には、ビットの配列とローターの回転速度の組み合わせに加え、移動速度との掛け合わせが重要です。現地で最も小さな地雷の寸法を調べ、漏れなく破壊できる仕様を模索し続けました。
もちろん、搭乗時にオペレーターを覆うキャビンと、機体心臓部であるエンジンや燃料タンク周りの防護を徹底したのは言うまでもありませんが、万が一に備えて、ラジコンによるリモート操作も可能にしました。本機は、コマツのほぼすべての開発センターの技術を結集して生まれたと言っても過言ではありません。

ヒトに代わってやることの意義​

地雷探査は、専門の組織(JMAS※8、CMAC※9など)の隊員たちが、金属探知機を使って一歩一歩確認し、発見したものを一つずつ爆破処理していきます。しかし、地雷原は元戦場ですから、武器片や釘、缶飲料のプルタブなど無数の金属片が落ちています。一つの地雷を見つけるまでに、500くらいの金属片が探知機に反応するため、作業は遅々として進みません。未だ、人手を介した作業が地雷除去の主軸ですが、条件が合うところではD85MS-15による除去が威力を発揮することは言うまでもありません。
カンボジアにおいて、これまでにJMASとのプロジェクトで除去した面積は、およそ4,300ヘクタール(東京ドーム935個分)におよびます。データの実績を平均すると、1ヘクタール当たりの対人地雷は1個程度ですが、地雷の数は場所によって偏りがあります。例えば旧道や寺の前とか、今手がけているカンボジアとタイの国境地帯はポル・ポトが立てこもっていた※10ため、数が多いとされています。ですが、年月とともに地形が変化したり、洪水などで地雷が流されて移動していたりと、予想が立てづらいのが現状です。

対戦車地雷を踏んでも自走帰還したD85MS-15

D85MS-15投入の際は、事前の綿密な調査が欠かせないのですが、先に申し上げたように地形などの変化もあり、100%確実な情報とまではいきません。以前、不運にもD85MS-15は対戦車地雷を踏んでしまいました。対人地雷の火薬量は200g程度なのに対し、対戦車地雷の火薬は7〜8㎏ですから、威力は相当なものです。しかしこのとき、ローターのビットや履帯は損傷したものの、オペレーターは無事で、履帯をつなぐリンクも切れていませんでした。高張力鋼※11で覆われたエンジンや燃料タンクも無事で、自走して帰還することもできました。このような危険はあらかじめ想定し、試験段階からかなり負荷の高い実証を行っているのです。

これこそが、コマツの仕事だ!

プロジェクトを開始した頃のこと。地雷除去が終わったあとの土地は、トラクターで耕したようなふかふかの状態になりますが、ここに地元の農家の方が種を蒔いている姿を見かけたのです。そのときふと、地雷除去以外にも役に立てるのではないか、ということに気付きました。JMASと協力し、建機を使ってここを復興させれば、人々が安心して暮らせるだけではなく、豊かに過ごせる場所に変えられる。これぞまさに、建機メーカーである「コマツだからこその仕事だ!」と思ったのです。帰国後、当時の経営陣と協議した結果、地域復興に向けた取り組み強化が決まり、JMASとのプロジェクトでは、D85MS-15を含め、建機をすべて無償貸与することになりました。

「道」をつくることの価値

初めに現地に赴いた頃、道路は凸凹で水没し、地元の農家は作物を市場に運べず売ることもできない、人々は病院や学校にも行けないような状態でした。道づくりは我々の本業の一つですから、早速手掛けたところ、現地の人たちがものすごく喜んでくれる。道端には電信柱が立ち電気が通り、人々が活発に交流してその土地が生き返る。それ以降、「自分たちの村にも来てほしい」という要望が増え、1年に一つの村といったペースで開発支援を続けてきました。

教育は復興の礎

道ができて学校に行けるようにはなったものの、その校舎は風雨に耐えられず、洪水にも弱い。我々は建機を使って学校の土地を嵩上げし、校舎も建て直しました。そのあとも、学校維持に必要な経済的支援を続けています。これまでコマツが手掛けたのは10校ですが、初めの2、3校のなかからは大学に進学する生徒も出てきました。働きながら通学する彼らの姿を見て、コマツは2023年から奨学金制度も始めました。

米の収穫量を2倍に

このほかに、コマツは農業支援も行っています。以前、この地域の米の収穫量は1ヘクタール当たり2〜3tで、日本の収穫量の半分ぐらいでした。そこで、ICT建機を駆使し農地の凸凹を平坦に整えるなどの改善を行ったところ、収穫量が2倍に増え、地域の人たちに豊かさを提供できるようになりました。

ご存じPC130ショベルの登場

カンボジア、アンゴラに続き、2016年にはラオスでクラスター爆弾の不発弾除去活動の支援に乗り出しました。
当時、ラオスでは国土の3割以上に、クラスター爆弾の不発弾が手付かずで残されていました。クラスター爆弾は航空機から投下し、空中でカートリッジに収まった700発ほどの子弾をばら撒いて地上兵士を攻撃するものです。膨大な子弾の3割ほどが不発弾となり、風雨によって地中に埋まって残り続け、何も知らない子供たちが遊んで死傷していました。
この不発弾は地雷とは違い、何がきっかけで爆発するかわからないので、発見したその場で個々に火薬をしかけて処理していく必要がありました。2010年、我々が初めて現地を訪ねたところ、これがものすごくたくさん落ちている※12。当初は、地雷同様にD85MS-15で実地検証しましたが、クラスター子弾は、プラスチック製の対人地雷とは異なる鉄の小さな塊で、爆破できず地中に一層深く埋まってしまう。再検討を余儀なくされて設計陣に相談した結果、油圧ショベル(PC130)に特殊なバケットを装着するというアイデアに辿り着きました。開発したバケットは開閉式で、クラスター子弾を中に閉じ込めて周囲に飛び散らないよう握り潰すことが可能です。コマツの建機ユーザーの皆さまにはお馴染みの油圧ショベルですから、アタッチメントを変えれば灌木除去や整地作業にも活用できます。

建機が世界に役立つ可能性は無限に広がっている

地雷除去のあとは道ができ、学校ができて農業が盛んになり豊かになる。安全が第一条件ではありますが、このプロジェクトの醍醐味は、コマツの屋台骨である建機を駆使して、人々が暮らせる場所が創られていくのを日々目の当たりにし、その意義を実感できることにあります。
オタワ条約では2025年までに、カンボジアの対人地雷除去完了を目標に掲げていますが※13、同国の対人地雷の数は膨大で、まだ先は見えていません。世界に目を向ければ、さまざまな国で紛争が続き、天災による被害も各地で発生しています。我々地雷除去プロジェクト室は、建機という強みを活かし、人々が安心して豊かに暮らせる場所を創り続けたいと考えています。
要望のあった学校や企業に向けての「出前授業」を年10回ほど行っている
インタビューを終え穏やかな笑顔の二人。しかし、現地の実情を語るときの表情はときに厳しく、あたかも彼の地を見つめているようでさえあった
1: 世界で貯蔵対人地雷の数を報告できているのは対人地雷を禁じるオタワ条約締約国のみで実数の把握はできておらず、その数5,000万とも1億ともいわれている
2: 1999年の対人地雷禁止条約(オタワ条約)。締約国は164カ国(2023年3月時点)で、アジアでは日本のみが参加
3: 「殺害」より「損傷」を与え、兵士を戦闘に参加できなくすることで、精神的なダメージと、兵力の足枷になることを目的とした兵器。技術力も不要で、廉価に製造できることから大量に投入された
4: 1991年「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定」。これによって1970年以来のカンボジア内戦は終結したとされる
5: 当時、地雷除去機は「武器」扱いで輸出はできなかった
6: 2001年の米国同時多発テロ事件後、タリバン政権が崩壊・新政権が樹立。日本もテロ根絶・防止を目指す国際社会の一員として、アフガニスタン復興に協力することとなった
7: 「MS」はMine Sweeperの略
8: 「日本地雷処理を支援する会」。陸上自衛隊出身者を中心とした、認定特定非営利活動法人。爆発物の取り扱いが可能で、東日本大震災後、建機を使った復興支援に携わった陸自・施設課のメンバーも参加
9: カンボジア地雷対策センター(Cambodian Mine Action Centre)
※10: カンボジア・ベトナム戦争後、カンボジアから追放されたポル・ポトとその一派は、タイ国境付近に立て篭もり武装闘争を続けた
※11: ダンプカーのベッセルなどに使われている素材で、硬くて摩耗に強い
※12: クラスター子弾は1ヘクタール当たり10個程度存在していた
※13: オタワ条約第5回プレッシング会合におけるステートメント