上杉謙信から学ぶ!中小企業の経営

【上杉謙信の経営上の失敗】

上杉謙信は1530年に越後国守護代の長尾為景の4男として生まれ、初めは長尾景虎と名のり、その後、長尾家の家督を継ぎました。
1553年から1564年までの間に武田信玄との5回にわたる戦いは有名な話ですが、さらに生涯を通じて70回も戦って敗北したのは1~2回と言われています。 1561年には当時関東管領だった上杉憲政から山内上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎と改名をして関東管領の役職も引き継ぎ、まさに戦国時代の越後のカリスマ経営者でありました。
なぜその上杉家が、江戸時代には15万石に落ちぶれ吉良上野介の子供を養子に迎えねばならなくなったのでしょうか?
あれだけ強かった上杉軍に一体何があったのでしょうか?

【城所講師の異見】

上杉謙信は、1578年に遠征の準備中の春日山城(本拠地)内の厠(トイレ)で倒れ2、3日後に死去しました。享年49歳で、原因は脳卒中と言われております。
そして謙信の急死後、勃発したのが、上杉家の家督の後継を巡る上杉景勝と上杉景虎の間のお家騒動です。
上杉景勝は謙信の甥(姉の子)であり越後守護上杉家の血筋でもありました。一方、上杉景虎は戦国時代の関東の雄である小田原北条氏の血筋(北条氏康の実子)でした。二人は歳が近く、官位や権限も甲乙つけがたい状況だったようです。そして、「両雄並び立たず」、跡目争いは越後を真二つに割った壮絶なものになったそうです。
2年にも及んだ内乱の末、結果的に景勝が勝利しましたが、勝利側の武将たちも恩賞の配分を巡り対立し、上杉家の軍事力は見る影もなく疲弊してしまいした。そして、北陸を東進する織田信長などの近隣諸勢力の軍事侵攻に苦慮することになったのです。
【城所先生のコメント】
人生いつ何時、急病や事故が起こるかわかりません。上杉謙信を反面教師にして、自分の後の経営の事も、早めにうちから検討しておくことが重要だと思います。