【遺言を作らなかった上杉謙信の失敗】
後継者選びは、経営者の最も重要な仕事です。越後のカリスマ経営者で、毘沙門天の化身と言われた上杉謙信は武田信玄との5回にも渡る川中島の戦いで勇猛果敢さを見せつけました。
しかしながら、勢力拡大の途中で49歳の時、自分の城の厠で急に倒れました。通説には脳卒中と言われています。謙信には実の子供がなく、跡を継ぐと目されていた後継者が二人いました。
一人は姉の子の景勝、一人は関東北条氏の実子の景虎です。二人は年齢も近く、官職にも差がないことから、血みどろの後継者争いが始まりました。
越後(今の新潟県)を二分した内乱は二年間も続き、さしもの戦国時代最強の軍団と言われた上杉家は見る影もないほど衰退してしまいました。